会の歩み
1.前史(任意団体)(昭和19年~49年)
年 | 月日 | 事項 | 法令・社会動向 |
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昭和19年 (1944) |
大日本栄養士協会・千葉県支部発足 支部長 山田慎三 (山田慎三、森川規矩、金沢賢一、滝波順三らが中心になって大日本栄養士協会千葉県支部を発足。45年5月、大日本栄養士会の設立に伴い、大日本栄養士会に統合し、大日本栄養士会千葉県支部を設立) |
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20年 (1945) |
4月13日 | (栄養士規則、私立栄養士養成所指定規則公布) (戦時下の厳しい食糧難の中で、栄養士の身分とその業務が国家的に確定される。栄養士の養成施設として14校が指定さ れ、併せて大正15年3月以降の栄養学校卒業生が栄養士として認められる) |
※5月11日、厚生省健民局長名で、栄養士規則制定の趣旨と栄養士の組織化に配慮されたい旨を各地方長官宛に通知 千葉市は米軍の2度にわたる空襲で市街地の大半を焼失 8月14日、ポツダム宣言を受諾。 15日正午、天皇の玉音放送により終戦 ※9月22日、公衆衛生に関する覚書 ※12月1日、医療局官制公布 |
5月21日 | 大日本栄養士会設立・千葉県支部発足 支部長 山田慎三 (厚生省健民課長・三木行治氏は、佐伯栄養学校同窓会の名称「栄養士会」を佐伯矩先生から全国の栄養士組織の名称として譲り受け、栄養士会の設立に尽力。 帝国ホテルにおいて設立総会を開催。会長に厚生省健民局長、理事長に厚生省健民課長が就任。半官半民の大日本栄養士会設立。各都道府県に支部が置かれ、千 葉県支部は千葉県庁栄養係に事務局を設置) |
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8月 | 終戦に伴い日本栄養士会千葉県支部と改称 | ||
21年 (1946) |
4月1日 | (千葉県立栄養士養成所創立46年4月20日、本科1回生50名入学。48年4月1日、ほかの 2養成所と合併し千葉県立保健技術者養成所と改称。51年4月1日、栄養科のみ存続。54年4月1日、千葉県立栄養専門学院と改称。82年3月13日、35回生の卒業式と併せ千葉県立衛生短期大学栄養学科の開学に伴い閉院式を挙行) | 20年は米が前年度の7割程度の不作となり、21年になると食糧事情が悪化し、都市部では餓死者が続出。農村への買い出しや空地は自家菜園として自給自足で食糧を補う |
22年 (1947) |
1月 | (東京、千葉、神奈川で学校給食開始。ララ物資や連合軍支援物資をもとに学校給食が開始。1月の開始に先立ち12月24日試行) | ※7月22日、国民食糧及び栄養対策審議会「暫定食品成分表」決定 |
23年 (1948) |
1月1日 | (栄養士法施行 47年12月29日公布 ) | ※48年1月1日、保健所法、食品衛生法施行 ※4月2日、保健所法施行令公布 同日施行 ※10月27日、医師法、医療法施行 ※12月29日、児童福祉施設最低基準公布 |
3月1日 | (全国7大都市で病院給食開始 食糧および燃料が増配され、約8万5千人の給食が始まる) | ||
24年 (1949) |
5月1日 | (病院給食全国で開始 食糧等の増配地域が全国に拡大され、約16万人の給食が始まる) | ※2月15〜16日、第1回栄養士試験実施(平成元年度まで継続) ※3月10日、保育所給食実施要項通知 ※5月31日、厚生省設置法公布 6月1日施行 |
千葉県病院給食研究会設立(全国に先駆けて設立。各種事業を開始) | |||
25年 (1950) |
4月 | 支部総会開催 支部長 森川規矩 | ※3月27日、栄養士法一部改正 4月1日施行 ※9月1日、完全給食制度開始 ※50年9月11日、国民食糧及び栄養対策審議会「日本食品標準成分」報告 |
26年 (1951) |
4月4日 | (日本栄養士会会長・田中静雄氏 日栄は厚生省公衆衛生局長の退官に伴い、後任の局長の助言を受け、千葉県教育会館で開催した第6回総会において田中氏を会長に選出し、栄養士による会の運営を開始 ) | 10月、地方制度審議会が栄養士法廃止を検討と新聞が報道脳血管疾患が全結核を抜いて、死亡順位の1位となる |
千葉県学校栄養士会設立(全国に先駆けて設立。各種事業を開始) | |||
10月 | 病院給食展開催(千葉市・千葉県自治会館において病院食やパネルの展示を実施。5年程度継続) | ||
27年 (1952) |
7月31日 | (栄養改善法公布・同日施行 栄養士免許廃止阻止対策として、栄養改善法成立の努力が行われ、 議員立法により7月4日成立。栄養行政の中核法となる) | ※9月25日、病院給食指導について通知(栄養改善法に基づき指導すべきことを指示) |
28年 (1953) |
保健所管内栄養士研修会開催開始(県内の保健所の栄養士の配置が少しずつ進み、一部の保健所において保健所の主催により、管内の栄養士を対象とした研修会が始まる) | 2月1日、NHKがテレビ放送を開始 4月1日、和洋女子短期大学家政科指定 6月17日、川鉄、1号高炉火入れ式挙行 |
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29年 (1954) |
10月5日 ~6日 |
(日本栄養改善学会設立・第1回学会開催 栄養改善法の成立を機に準備を開始し、 設立、東京YMCA講堂で第1回学会を開催 ) | ※3月27日、総理府資源調査会「改定日本食品標準成分表」報告 ※6月3日、学校給食法公布 同日施行 |
31年 (1956) |
※56年3月30日、学校給食法一部改正公布 4月1日施行 | ||
32年 (1957) |
4月 | 支部総会開催 支部長 荒井光雄 (支部長の改選を機に、日栄の動向に沿って県行政と支部事業を明確にすべく、事務局を県庁栄養係から千葉県立栄養専門学院内に移転) |
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33年 (1958) |
1月25日 | (栄養日本創刊 日栄は、48年9月以降「ニュース」「日本栄養士会雑誌」など発行するも休刊。厚生省栄養課の援助を得て記録の保持を目的に「栄養日本」を創刊。1月〜3月までは有償。4月から機関紙として会員に無償配布) | ※3月24日、「6つの基礎食品」について通知4月1日、昭和学院栄養学校指定 ※10月1日、基準給食開始 |
34年 (1959) |
10月 | 食生活展開催(千葉市・奈良屋デパートにおいて展示・食生活相談を実施。3年程度継続) | ※2月24日、総理府資源調査会「日本人の栄養所要量」報告食生活は、45年代の後半になると、経済の発展や豊作などにより、戦前の安定期の水準まで回復し、58年に は畜産食品の飛躍的な増加と油などが増加し、摂取熱量に占める穀類の比率が低下し、量から質への改善が進んだ。調理形態も外来文化の影響を受け大きく変化 するようになった。半面、高血圧や心臓病などが増加のきざしをみせ59年2月1日、成人病予防週間が設けられた。 |
11月13日 | (日本栄養士会・社団法人認可 会長 田中静雄氏 理事長 森川規矩氏) | ||
35年 (1960) |
産業部会設立(各種事業を開始) | ||
37年 (1962) |
9月13日 | (栄養士法等一部改正公布 管理栄養士制度の創設63年4月1日施) | |
11月22日 | 千葉県福祉栄養士会設立(各種事業を開始) | ||
38年 (1963) |
6月 | (日本栄養士会・職域部会を設置 日栄は職域の専門性を高めるため、職域部会を設置し部会長を任命するとともに、各都道府県栄養士会の職域の育成指導に努めた) | ※1月25日、栄養審議会「栄養基準量および食品構成基準」答申 ※6月26日、科学技術庁資源調査会「三訂日本食品標準成分表」報告 ※7月1日、救護施設、更生施設、授産施設及び宿所提供施設の設備及び運営に関する最低基準公布 10月1日施行。 ※養護老人ホーム及び特別養護老人ホームの設置及び運営に関する基準公布10月1日施行 ※63年11月17日、第1回管理栄養士学科試験実施(実地試験は64年2月22〜23日) |
41年 (1966) |
11月21日 ~23日 |
第13回日本栄養改善学会の開催運営に協力(東京・日比谷公会堂ほか。荒井支部長が副学会長を務める) | 66年2月7日、聖徳学園短期大学家政科(食物栄養専攻)指定 |
42年 (1967) |
10月31日 | 会報を創刊(創刊号は、故小藤芳郎氏の追悼を特集。3号まで発行し休刊) | |
43年 (1968) |
2月 | 千葉県病院給食管理要項作成への協力(行政、病院の栄養士10名が作成に協力) | |
11月2日 | 支部総会開催・支部運営規程制定(部会の活動を充実することを前提に、運営方法の一部を変更。一般部会を廃止し会員はほかの部会に入る。支部総会を廃止 する。運営委員を部会員数割として増やす。運営委員会に支部総会と同様の権限をもたせる。部会の総会に支部長が出席する) 支部長 荒井光雄 | ||
44年 (1969) |
4月 | 栄養士の研修事業に県の補助金(平成9年度まで継続) |
2月4日、自民党「調理師・栄養士議員連盟」を結成 |
6月13日 | (日本栄養士会・会長表彰開始 日栄は法人設立10周年を記念して会長表彰を開始) | ||
11月26日 ~27日 |
第1回千葉県栄養改善大会開催(千葉市・塚本ホール 千葉県栄養改善協議会との共催により式典・展示会を開催。式典において衛生部長表彰、会長表彰を実施。2日目は栄養士大会として研究発表会を開催)(県補助金の申請、栄養改善大会の開催等に伴い、独立主体の存在とするため千葉県栄養士会を呼称、支部長を会長とする) | ||
46年 (1971) |
8月16日 | 第3回運営委員会開催 会長 鈴木啓二(第28回国民体育大会・「若潮国体」への協力、病態栄養技術者講習会の開催等多くの課題を抱える中で、役員改選を実施) | |
47年 (1972) |
10月11日 ~17日 |
国体食の実施と普及に協力 国体食展開催(第28回国民体育大会の開催に当たり、千葉県から鈴木会長らが宿泊専門委員に委嘱され、久我達郎委員らとともに国体食の標準献立の作 成、展示、普及に協力した。第4回千葉県栄養改善大会は、千葉市・扇やデパートにおいて千葉県、千葉県教育委員会との共催により「国体食展」として開 催。国体食の展示としおりの配布などを実施。また、県下各地で国体食普及講習会を開催し、普及に努めた) | ※2月26日、軽費老人ホームの設備及び運営について通知(定員50人以上の施設には栄養士を置くことを規定) ※5月15日、沖縄の施政権返還 ※6月8日、労働安全衛生法公布 月 日施行 ※国民栄養調査、11月の連続した3日間に |
11月 | 冷凍医療食加算反対運動開始(日栄および全国に反対運動を呼び掛ける。日栄は臨時理事会を開催して対応を決定。医療食協会から役員を引き上げる。全国的な規模で推進してきた協会の動きにブレ-キを掛ける) | ||
48年 (1973) |
5月~ | 病態栄養学術講習会開催(72年3月、受講希望調査を実施し、会員の意向を踏まえ、計画を修正。114名の申し込みを受け、日赤千葉支社を主会場に、千葉大学附属病院医師の協力を得て、1日2科目・6時間、24回 の講習会と補講6回を75年8月までの2年半にわたって開催。延べ1,800名が受講。73年度会員数 226名) | ※3月5日、栄養審議会「管理栄養士及び管理栄養士養成施設指定基準の改善に関する意見具申」提出 ※10月1日、「栄養士養成施設指導要綱について」通知 ※10月2日、栄養審議会「病院給食における一般食給与栄養基準量及びその運用について」答申 |
8月11日 | 第1回運営委員会開催 会則変更 会長 鈴木啓二(支部運営規程を千葉県栄養士会会則と改め、事務所所在地の変更、一般部会の新設、運営委員選出数の変 更、顧問・参与の設置、賛助会員の設置等を規定。役員改選=国体終了(秋季大会10月14日~19日)までは現体制を引き継ぐ) | ||
10月 | 千葉県病院給食管理要項改訂への協力(行政、病院の栄養士10名が改定に協力) | ||
49年 (1974) |
1月26日 | 一般部会設立(千葉駅ビル会議室において設立総会を開催。各種事業を開始) | ※3月26日、「病者用特別用途食品の標示許可の取扱いについて」通知 ※6月22日、学校給食法一部改正公布(栄養士の配置を義務付け) 同日施行 |
4月6日 | 第1回運営委員会開催 会長 久我達郎(役員改選。新役員が社団法人設立者に) | ||
9月1日 | 会報を復刊・年2回発行開始 | ||
10月12日 | 社団法人設立総会開催(千葉駅ビル会議室において開催。定款を含むすべての議案を承認。法人化に伴 い千葉県学校栄養士会の会員が千葉県栄養士会に入会。700名の会員を擁する組織に) 会長 久我達郎 | ||
50年 (1975) |
2月20日 | 社団法人設立申請書提出(県主管課を経由し、千葉県知事宛に法人設立申請書を提出) |
- 1ページ:会員数の推移、会費額の推移
- 3ページ:会の歩み 2.社団法人認可以降(昭和50年~平成11年)
- 4ページ:会の歩み 2.社団法人認可以降(平成12年以降)